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第8話 閻魔堂(えんまどう)

2002年07月24日 00:00

第8話 閻魔堂(えんまどう)

閻魔堂(えんまどう)

鈴鹿神社と龍源院(りゅうげんいん)にはさまれた「鈴鹿長宿(すずかながじゅく)自治会館」の隣にある小さなお堂です。中をのぞくとたくさんの木像がありますが、その中心にあるひときわ大きなものが、誰もが知っているあの閻魔様(えんまさま)の像です。他の像のうち9体は帽子や服などが閻魔と同じ中国風ですね。これら十体は十王(じゅうおう)と呼ばれる地獄(じごく)の裁判官達なのです。

十王

十王は死者が生前(せいぜん:生きていた間)にどんな悪いことをしたのか調べ、その罪の重さによってどんな罰を与えるかを決める裁判をします。この裁判は閻魔一人でおこなっていると思われがちですが、そうではありません。
人が死んでから7日目に最初の裁判(今で言うなら初公判)がおこなわれ、それを含めて7日ごとに7回審議は続きます。7回目は死後49日目に当たります。その次からは100日目、1年目と続き、3年目で裁判は終わります。

合計10回の裁判は十王の一人一人が別々に担当します。閻魔は十王の中の代表ですが、5回目の裁判を担当します。
そういえば日本では人が死ぬと7日目に 初七日(しょなのか)49日目に 四十九日(しじゅうくにち)100日目に 百か日(ひゃっかにち)1年目に 一回忌(いっかいき、または一周忌いっしゅうき)3年目に 三回忌(さんかいき)という法要(ほうよう:死者のために拝んだりすること)をおこなうことが多いですね。

これは裁判の日に合わせて多くの人が祈ることによって、地獄で裁かれている死者を応援するという意味があります。
十王が罪の重さを量っているところにお経とともにたくさんの人々から「あの人はいい人だった」「極楽に往生できますように」などと祈り声が聞こえてきたら少しはおおめに見てくれるかな・・ということなんでしょう。減刑嘆願書っていうところですね。

それでは自分が生きている間に十王に祈れば、死んだあとの自分の裁判に少しでも有利になるのでは‥という考えからこのような十王像が各地で作られ、信仰されてきました。この世の裁判で公判以前に裁判官と被告が懇意になっていて、そのために罪が軽くなるって言うことは絶対ないですが・・

わかっていてもつい・・

まめこぞうの身内は忙しいことを理由に初七日と四十九日の法要をいっしょにしてしまいました。今どきの法事(ほうじ)はそんなの常識になっています。しかし本来の意味どおりに今でも7日ごとにお寺さんに頼んでお経をあげてもらうおうちもありますよね。二週目、三週目などを「ふたなぬか」「みなぬか」などとも言います。なのかがなまってなぬかになるんですね。赤ちゃんが生まれて七日目、元気に育ってほしいと祝う行事なのに「初七日」なんて言っちゃって大失敗した方もいるのでは?あれは「お七夜」(おしちや)ですよね。
まためでたいことがあって一年目に「一周年」を祝おうとして「一周忌」って言ってしまった人は多いでしょう?特に結婚一年目を一周忌なんて言ったらしゃれになりませんよね・・(半分当たっているという人もいますが)逆に今年の春、一年前にあった不幸な事故のお詫びをしようとした関係者が記者会見で「一周年」と言って大ひんしゅくをかったこともありました。一周年っていうのはめでたいことにつかう言葉なんですね。

知ったかぶりコーナー 王は王様ではない

王というとアラビアンナイトの王様、ヨーロッパの昔話に出てくる王様、実在したフランスやイギリスの国王を連想します。(野球の王さんって言う人もいるかな?)しかし中国で言う王はこれらとは違い、一番上の人は王ではないのです。実際に2千年の中国の歴史を見れば、秦の始皇帝から始まって、清朝最後の宣統帝(せんとうてい)愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)まで、その国のトップにあった人はみな皇帝または帝(てい)と呼ばれます。これに対して王とは帝より下の位であり、地方豪族のような感じでした。日本史で習った金印の文字に「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)とありますが、これは中国(後漢)皇帝の下で奴国(なこく)を治めることを許すぞっていう偉そうなしるしです。日本では奈良時代の長屋王(ながやおう)のように親王(しんのう)、皇子(みこ)より下の皇族(こうぞく)男子を王と呼んでいました。
また、仏教に関係ある王はほとんど皆もともと仏の世界の外にあった神などが仏教に取り込まれていったものと言っていいでしょう。たとえば奈良の興福寺(こうふくじ)で有名な阿修羅王(あしゅらおう)、そして今回の主役、閻魔王などです。これらもはっきりと仏より下のランクであるとされています。

奪衣婆(だつえば、またはだついば)

地獄の入口といえば三途の川(さんずのかわ)・・・
この川の所でやって来る死者を待ち、その着物を脱がせてしまうおばあさんが奪衣婆です。(脱衣婆とも書きます。)十王とは身なりがまったく違います。
死者はここで裸かそれに近い姿にされ、十王の判決に従って血の池とか針の山へ向かうのです。
着物を脱がすと言っても親切に手伝ってくれるのではありません。奪衣=衣を奪うのですから。
このおばあさん、一般にはやせてあばら骨がごつごつ出ている姿をしていますが、座間のものはちょっとぽっちゃりしています。顔や体全体はふくよかなんだけどあばらはお約束どおりごつごつです。

さらにもう一つのお約束・・はだけた胸から細長くしぼんだ乳房がたれて見えています。おばあさんになるとはじらいもないのですね・・
ああ、今はかわいい女の子達も数十年後にはこうなっちゃうのかしら・・あ、たれてくるのもしぼむのもいいんですよ、それを平気で人前に出しちゃうっていうのがね・・まめこぞうは十王から離れてまったく別の無常観におもいをめぐらせるのでした。色即是空・・


そういえばまめこぞうの祖母も暑い夏の夜、窓を開けたまま上半身裸になってうちわであおいでいましたっけ・・でも母は絶対そんなことしません。むしろ昔の方が当たり前だったのかな。

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

奪衣婆の隣に黒くて小さな像があります。これは見ればすぐわかるお地蔵様です。昔はきっと全身金色に輝いていらしたのでしょう、胸のあたりにその色が残っています。地蔵様は地獄で苦しむ人々を救う最後の希望なのです。詳しくはまたいずれ。ところでこの地蔵様と奪衣婆は何年か前に見たときと場所が入れ替わっています。なぜ?

この小さなお堂の中には十王全員と奪衣婆、そして地蔵と、関係者フルメンバーがそろっています。しかもいつでも自由に直接拝むことができます。それなのに傷みが少なくしっかりした姿のまま何百年もの間現在の場所から動いていません。ここの閻魔様は像の中に「元文五年」(1740年)と書かれているので、その年に作られたと考えられています。地方の村の木像であるにもかかわらず、これだけきれいに彩色(さいしき)が残っているのも珍しいかもしれません。これは周囲の方々が本当に大切に守ってこられたからでしょう。まだまだ今後何百年もにらみをきかせていてほしいと願います。

1977年の写真です。並び方がまた違いますね。どうやらお堂の中ではたまに席替えをしているようです。
よくみると・・あ!席替えだけじゃない!閻魔様の必需品、「笏」(しゃく)が昔は縦だったのに今は横になっている!しゃくは縦にして持つのが常識。閻魔様に何があったのでしょう?
また、お地蔵様の光背(こうはい:光り輝く様子を表した輪のような部分)もなくなってしまったんですね。うーん、諸行無常の響きあり・・・

まめこぞう

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