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第16話 高座海軍工廠 後編 地下工廠跡

2003年04月07日 00:00

第16話 高座海軍工廠 後編 地下工廠跡

高座海軍工廠 後編 地下工廠跡(ちかこうしょうあと)


2回にわたってお話ししてきた高座海軍工廠ですが、終戦後は徹底的に破壊され、現在はそのほぼすべてが住宅地とハイテクパークと呼ばれる工業団地に変貌しました。しかしほとんど当時のままのものが残っていました。それは地下でひっそりと保存されてきたのです。

■地下工廠

広大な工廠は標的になりやすく、昭和19年12月以降、何度か空襲を受けています。それでも戦闘機の製造は止められません。そこで空襲をさけつつ地上での作業を補うため、地下にも工廠が作られました。

地下工廠というのは地下に作られた工場のことで、いわゆる防空壕とは規模が違います。防空壕というのはたとえば個人の家の庭先などに掘られた小規模な穴であることが多く、その広さはそこを使用する人が入れれば十分でした。しかし地下工廠はそこでたくさんの人が作業をし、飛行機の部品を作るのですからかなり大きなものになります。
またまめこぞうの旅、高座海軍工廠前編に載せた当時の地図を見てください。目久尻川を挟んで両側に、矢のようにまっすぐ引かれた線が地下工廠です。かなりたくさんあることに驚かされます。

            地下壕の中
     

栗原中央、南栗原などは平らな台地とそれを目久尻川が20mほど掘り下げた低地からなっています。台地と低地の境目は自然の崖になっていますが、地下工廠はこの崖の一番下から水平に掘り進んで作られています。そのほとんどは広い部屋を持たず(広い部屋は天井を支えきれないからでしょう)高さ3mほどのかまぼこ状トンネルでできています。小中学校の廊下ぐらいの大きさと言った方がわかりやすいでしょうか。

■芹沢(せりさわ)の中丸地下工廠(なかまるちかこうしょう)

地下工廠の中でも最もよく保存されているのは栗原中学校のすぐそばにある芹沢公園です。
ここには地下工廠以外にも興味深いものがたくさんあります。たとえば公園中心の芝生広場は中丸と呼ばれていました。中丸をはさんで東西にあるせまい谷はそれぞれ東老場(ひがしろうば:東牢場とも書く)西老場(にしろうば:西牢場とも書く)といいます。これらの地名についてはまたいずれ・・・

中丸の広場の真下に作られたのが中丸地下工廠です。
まめこぞうは平成6年頃、仲間と共にこの中丸地下工廠の内部を詳細に調査しました。そのとき測量した平面図を見てください。自分で書いていて言うのもなんですが、この図はきわめて正確なものです。

東西約100mの中丸広場を横切って東老場と西老場の間に6本の地下道があります。これがすべて25m間隔に平行に伸び、それぞれの間にまるであみだくじのような横道が多数張りめぐらされていて、総延長は1500mほどになります。
あみだくじのような形をしているのは、攻撃を受けたとき入り口の近くで爆弾が爆発しても、その爆風がうまくぬけて被害が少なくてすむようにした工夫です。
東西方向の通路のうち、北側の3本は西老場につきぬけていません。また南北方向の枝道は東西方向の通路とは直角に交わらずにその多くがほぼ南北に掘られています。しかし中央やや南側ではその方向がかなり違っていたり、カーブを描いています。このような形に作られた理由は謎です。


■中で何が行われていたのか

中の様子や作業の内容については軍機密だったので、詳しい記録はありませんが、網の目のように張り巡らされた地下壕の一部にはコンクリートの土台が多数あり、ここに何か機械が据え付けられていたことがわかります。当時中丸の地上で農作業をしていたら地下からガーンガーンという音が聞こえてきたという証言もあります。
実際にこの中で働いたことがあって今でも市内にお住まいの方にまめこぞうが直接インタビューしたところによると、地下工廠では仕事がしにくいので作業はできるだけ地上の工廠で行ったそうです。
また、この地下工廠には大切な書類が保管されていたそうです。それが何なのかはわかりません。
先が行き止まりになっている通路や小さな部屋状の空間が北側にいくつかありますが、ここが書類などの保管場所だったのでしょうか?

天井にいくつか残っている「がいし」
電線を通したあとですが
これが戦時中のものなのか、
マッシュルーム栽培のものかは不明

■どうやって掘ったか

壕の壁はすべてでこぼこで、つるはしのようなもので削ったあとがあります。ということはすべて人の力で掘ったのでしょう。
また、壕の壁には白っぽい地層がはっきりと見えます。これは東京パミスと呼ばれる箱根火山の火山灰層です。この地層を目印にして地下壕を掘ったのだろうと思われます。たまたまこのあたりの東京パミスは相模野台地上にほぼ水平にたい積しているので、この層の所を掘っていけば水平に近い壕ができるわけです。

■戦後の再利用

しかし作業が始まって1年で終戦を迎え、工廠は取り壊され、地下の設備も取り除かれました。工作機械は東南アジアに送られて活躍したようです。
一時期、暗くて湿度が高いことを利用してマッシュルームの栽培が行われたこともありました。これがあたって増産を試みた時、カビが繁殖してマッシュルームが育たなくなり、あきらめたのちはまったく使われずに現在に至っています。
壕の壁に材木が刺さったまま腐っているのはマッシュルームを育てた台を支えたものです。

その後ほとんどの地下壕は出入口を埋めてしまいました。平面図の南側にもう一本平行な通路がありますが、これは埋めずに中が見えるようになっています。
入り口の横に解説のパネルがありますので読んでみてください。
なお、この埋められなかった1本は枝分かれしておらず、工廠というより東老場と西老場をつなぐ通路だったようです。当時、この低地は沼のようになっていて歩ける状態ではなかったからです。

■壕に入ってみた

私、地質調査のためにこの地下壕に入ったことが何度もありますが、湿気とカビと虫で気分悪くなりました。こんなに暗くてじめじめした所で作業していた人がいたのですね‥
ちなみにある時はカマドウマの大群が壁を埋め尽くし、手を出したらマンガのようにとびかかってきて・・というより落ちてきて、目や口に入ったほどでした。
ヤスデだか何だか足のいっぱいあるやつが、それも10cm以上あるやつがぞろぞろはい回っている時もありました。私、虫だいっきらいです。


壁の掘りあと
つるはしのようなもので削ったようです
2本平行になっている削りあともあるので
先が2つに割れたくわのようなものも使ったのでしょう

写真の下半分が東京パミス層
中央の針金は電線をとめたもの
左の端は・・・きゃー!



この中丸地下壕は50年以上たった今でもほとんど崩れることなく、当時の形を残しています。
これはけっこうすごいことです。昭和の遺産としてながく保存したいと思うのですが文化財に指定できないものでしょうか?

まめこぞう

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