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第33話 番神水(後編) 三十番神

2006年02月26日 00:00

第33話 番神水(後編) 三十番神

第33話 番神水(後編) 三十番神


 番神水は番神堂と呼ばれる小さなお堂の後ろからわき出ています。
お堂の格子からのぞくと榊(さかき)の奥に小さな紳像がたくさん立っているのが見えます。この神様たちが三十番神です。

三十番神とは


 毎日順番に日替わりで世の中を守って下さる三十柱(はしら:神様の数をかぞえるときは「人」ではなくて柱という単位をつかいます)の神様集団です。日直のような感じですね。この神様は毎月一日は熱田明神(あつたみょうじん)、二日は諏訪明神(すわみょうじん)というように担当する日が決まっていて、三十人で一回りしたらまた元に戻ります。


三十柱のそれぞれのお名前は次のとおりです。
(ついでにそれぞれの神様が本来まつられている場所もつけました。近畿地方に集中していますね。)

座間 番神堂 三十番神 一覧


神様の名前は円教寺の解説によりますが、赤山明神は赤城明神となっているものを訂正しました。

一日
熱田明神 (あつたみょうじん)愛知県 名古屋市熱田神宮
二日
諏訪明神 (すわみょうじん)長野県 諏訪市諏訪大社
三日
広田明神 (ひろたみょうじん)兵庫県 西宮市広田神社
四日
気比明神 (けひみょうじん)福井県 敦賀市気比神宮
五日
気多明神 (けたみょうじん)石川県 羽咋市気多大社
六日
鹿島明神 (かしまみょうじん)茨城県 鹿島市鹿島神宮
七日
北野明神 (きたのみょうじん)京都府 京都市北野天満宮
八日
江文明神 (えぶみみょうじん)京都府 大原野村町江文神社
九日
貴布祢明神(きぶねみょうじん)京都府 京都市貴船神社
十日
天照大神 (あまてらすおおみかみ)三重県 伊勢市伊勢神宮
十一日
八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)京都府 京都市石清水八幡宮
十二日
加茂明神 (かもみょうじん)京都府 京都市賀茂神社
十三日
松尾明神 (まつのおみょうじん) 京都府 京都市松尾大社
十四日
大原明神 (おおはらみょうじん) 京都府 京都市大原野神社
十五日
春日明神 (かすがみょうじん)奈良県 奈良市春日大社
十六日
平野明神 (ひらのみょうじん)京都府 京都市平野神社
十七日
大比叡明神(おおびえみょうじん)滋賀県 大津市日吉大社
十八日
小比叡明神(こびえみょうじん)滋賀県 大津市日吉大社
十九日
聖眞子権現(しょうしんしごんげん)滋賀県 大津市日吉大社
廿日
客人権現 (まろうどごんげん)滋賀県 大津市日吉大社
廿一日
八王子権現(はちおうじごんげん)滋賀県 大津市日吉大社
廿二日
稲荷明神 (いなりみょうじん)京都府 京都市伏見稲荷大社
廿三日
住吉明神 (すみよしみょうじん)大阪府 大阪市住吉大社
廿四日
祇園明神 (ぎおんみょうじん)京都府 京都市八坂神社
廿五日
赤山明神 (せきさんみょうじん)京都府 京都市赤山禅院
廿六日
建部明神 (たけべみょうじん)滋賀県 大津市建部大社
廿七日
三上明神 (みかみみょうじん)滋賀県 野洲町御上神社
廿八日
兵主明神 (ひょうすみょうじん) 滋賀県 中主町兵主神社
廿九日
苗鹿明神 (のうかみょうじん)滋賀県 大津市那波賀神社
三十日
吉備明神 (きびみょうじん)岡山県 岡山市吉備神社


三十一日はどうするの?


 実は明治5年(1872年)12月より前、日本には「三十一日」という日は無かったのです。
今、世界中のほとんどの国で使われている暦(こよみ)は太陽の動きを基準にして定められた「太陽暦」(たいようれき)ですが、日本では月の満ち欠けを基準にした「太陰暦」(たいいんれき)をつかっていたのです。

 月は新月から満月へ、また新月へと約29.5日周期(正確には29.53059日)で満ち欠けします。太陰暦はこの新月の日を1日(ついたち)として次の新月までを1月(ひとつき)と数えたのです。
(だから「ひとつき」は「月」という文字をつかうのです)

 実際には29.5日という小数をつけるわけにはいかないので29日の月と30日の月をほぼ交互に置き、29日の月を「小の月」(しょうのつき)30日の月を「大の月」(だいのつき)といいました。微妙なずれの調整に、ときどき大の月を連続して置く事もありました。
しかしこのままだと1年が354日か355日で、太陽が1周する365日より10日以上短いために季節がずれていってしまいます。そこでときどき13番目の月を入れてずれをおぎなっていました。この13番目の月を「閏月」(うるうづき)といいました。
ですから昔は12ヶ月の年と13ヶ月の年があったということですね。
これでは農業を営むのには困ります。いつ種をまくのか、いつ田植えをするのか、年によってずれてしまうからです。これを解決するために「二十四節気」(にじゅうしせっき:立春、大暑など、季節の変わり目を表す24の日)が定められていました。
でも一般の生活には大きな影響はなく、むしろ夜の月を見ただけでカレンダーがなくてもその日が何日であるのかわかって便利だったかもしれません。(三日月なら3日、満月なら15日)

ちょっとトリビア


明治5年、それも12月になって明治政府は太陰暦を廃止し太陽暦に変えました。これは世界の仲間入りをするために欧米諸国に合わせるのが当然の成り行きだった・・といえばそれまでですが、なぜそれ以前にしなかったのにこの年に実施したのか・・・
実はこのとき明治政府は公務員に給料すら払えないほど絶望的にお金が足りなかったのです。しかもこの年は閏月のある年・・つまり1年が13ヶ月もあったのです。言い換えれば・・給料を13回払わなければならなかったのです。そこで太陽暦を取り入れて1年を12ヶ月と決めてしまえば1ヶ月分の給料を払わなくてすむ!というわけでぎりぎりの12月にあわてて太陰暦を廃止したのだと言われています。

もし今も太陰暦が用いられていたら・・
13ヶ月の年は日数が385日ぐらいあり、12ヶ月の年は355日ぐらい・・
学校ではこの差があっても同じだけの量勉強するのだとしたら、学年によって大変な事になりますね。

第32話 番神水(中編) 円教寺と日蓮上人

2006年02月04日 00:00

第32話 番神水(中編) 円教寺と日蓮上人

番神水 中編 日蓮上人と円教寺


 このわき水は、有名な日蓮上人が最初に掘ったものだと言い伝えられています。本当にあの日蓮上人がいらっしゃったようです。座間の昔話の中でも最大級にメジャーな方の登場です。(もう一人、座間を訪れた超有名人として徳川家康公がいらっしゃいますが、それはまたいずれ)

まず基礎知識、「龍ノ口の法難」(たつのくちのほうなん)


 日蓮上人は鎌倉時代の中頃、鎌倉幕府の政治や当時の宗教のあり方を遠慮なく批判したため、有力者からかなり反感を買い、襲撃されて家を壊されたり弟子を殺されたりもしました。
それでもまけずにいた上人もついに捕まってしまい、新潟の佐渡島(さどがしま)に流罪(るざい)にするという判決がおりました。流罪とは遠いところや島におしこめてつらい生活をさせ、場合によっては死ぬまでそこから出させないという刑です。

 文永(ぶんえい)八年(1271年)9月12日、日蓮を連れた幕府の役人たちは佐渡に向かうと言いながら鎌倉の隣にある「龍ノ口」(たつのくち)という刑場に向かい、その夜のうちに首をはねて殺してしまおうとしました。しかし死刑執行人が刀を振り上げたとたん、空中に光る玉が現れ、周囲は大パニックになり、しかもその刀が折れてしまったために死刑は中止になりました。これを「龍ノ口の法難」(たつのくちのほうなん)といいます。場所は腰越(こしごえ)の龍口寺(りゅうこうじ)が建っているところです。

ちなみにその刀の名を「蛇胴丸」(じゃどうまる)といいました。
死刑に失敗した幕府の役人は、今度は本当に佐渡に護送することにしました。翌日の9月13日、日蓮上人は龍ノ口から佐渡へ向かう途中、まず厚木の依智(えち:今は依知と書く)にある本間という人の屋敷にあずけられました。

これはけっこう有名なお話で、ご存知の方も多いと思います。
この話と番神水の間にどんな関係があるか・・・いよいよ本題!

円教寺に伝わる話をもとにしたかいせつー


 龍ノ口で日蓮上人に向かって振り上げられたものの、光る玉の出現で3つに折れた刀、「蛇胴丸」を作ったのが現在の円教寺の場所に住んでいた鈴木弥太郎貞勝(すずきやたろうさだかつ)という人でした。
そしてあの事件の翌日9月13日、昨夜のうわさを聞きつけた鈴木弥太郎貞勝が、依知に向かって相模川を渡る前にぜひ自宅にお立ち寄り下さいと申し出たことにより日蓮の一行は貞勝の屋敷で休息を取ることになりました。

このとき貞勝は日蓮の教えに入信し、円教坊(えんきょうぼう)という名をいただきました。円教坊はこのあたりの水が刀作りに適さないことを話すと、日蓮は石に南無妙法蓮華経の文字を書き、「三十番神」(さんじゅうばんじん)をまつって地面を掘りました。その時わき出た泉がこの番神水だというのです。

(写真は現在の円教寺。日蓮上人が休んでいったので山号を「休息山」といいます。)


ものすごいお話でしょう?
事実かどうかは別にして、まめこぞうだけでなく多くの人がわくわくするお話ですので、このあたりをちょっとくわしく・・

日蓮上人が佐渡から戻ったあと、(龍ノ口の5年後)建治(けんじ)二年(1276年)自分自身でお書きになった「種種御振舞御書」(しゅじゅおんふるまいごしょ)を引用させていただきます。

「種種御振舞御書」(しゅじゅおんふるまいごしょ)から抜粋


・・・こしごへ(腰越)たつ(竜)の口にゆきぬ。
此にてぞ有らんずらんとをもうところに、案にたがはず兵士どもうちまはりさわぎしかば、左衛門の尉申すやう、只今なりとなく。
日蓮申すやう。不かくのとのばらかな、これほどの悦びをばわらへかし、いかにやくそく(約束)をばたがへらるるぞ、と申せし時、
江のしま(島)のかたより月のごとくひかりたる物、まり(鞠)のやうにて辰巳のかたより戍亥のかたへひかりわたる。
十二日の夜のあけぐれ(昧爽)、人の面もみへざりしが、物のひかり月よ(夜)のやうにて、人人の面もみなみゆ。
太刀取目くらみたふれ臥し、兵共おぢ怖れ、けうさめて一町計りはせのき、或は馬よりをりてかしこまり、或は馬の上にてうずくまれるもあり。
日蓮申すやう。いかにとのばら、かかる大禍ある召人にはとをのくぞ。近く打ちよれや、打ちよれや、とたかだかとよばわれども、いそぎよる人もなし。
さてよ(夜)あけばいかにいかに、頚切べくはいそぎ切るべし、夜明けなばみぐるしかりなん、とすすめしかども、とかくのへんじ(返事)もなし。
 
 はるか計りありて云く、さがみ(相模)のえち(依智)と申すところへ入らせ給へと申す。 此れは道知る者なし。さきうち(先打)すべしと申せども、うつ人もなかりしかば、さてやすらうほどに、或兵士の云く、それこそその道にて候へと申せしかば、道にまかせてゆく。午の時計りにえち(依智)と申すところへゆきつきたりしかば、本間六郎左衛門がいへに入りぬ。

まめこぞう的口語訳


(日蓮上人は「流罪」と言われて引っ立てられたのに、龍ノ口につれてこられてみるともう兵士がいて死刑執行準備ばんたんという状態なのを見て怒ります。)
すると江ノ島の方から月のように光るボールのようなものが南東から北西に向かって飛びました。12日夜、人の顔が見えるほど明るくなり、執行人の太刀取りは目がくらんで倒れ、他の兵士も怖がって100mあまりも逃げる者、馬から下りてひれ伏す者、馬の上でうずくまる者などがいました。
日蓮はその者たちに怒鳴りつけます。
「おまえら、私が大きな罪を犯したのだとすればなぜ遠のくのか!近くに寄れ!」
しかし誰も寄ってきません。続けて言います。
「夜が明けてしまうではないか!首を切るなら早くしなさい!夜が明けてからでは見苦しい!」
しかしだれも返事すらしませんでした。
しょうがないので相模の依智に送られることになりましたがみんな道がわかりません。先回りして待ち伏せしようと言う人もありましたがやる人はいませんでした。
ある兵士が道を知っていたのでその日のひる、12時頃に依智の本間六郎左衛門の家に着きました。


光る玉とは何なのか・・・
雷ではなさそうです。スピードもあまり早くはなさそうです。神のわざ?狐火?人魂?プラズマ?流星?彗星?UFO?さまざまな説もあるようですが、「そんな玉はなかっただろう」という意見も多く、日蓮宗の偉い立場にある方の中にもそういうお考えを持つ方がいらっしゃるようです。
死刑が中止になったのは、「日蓮を殺してはならない」という執権(しっけん)北条時宗(ほうじょうときむね)の命令が執行直前に龍ノ口に届いたからであって、光のせいではないという説もあります。
また、座間の鈴木邸に立ち寄ったと言いますが、12時頃には依智に着いているのですから時間的に無理があるのではないかという見方もあります。
さらに、鈴木弥太郎という人は日蓮と同じ時代ではなく、ずっと後の戦国時代に生きた人ではないかという説もあります。
さて、真相はまめこぞうにもまだわかりません。

このわき水をなぜ番神水と呼ぶのか・・答えはもうでていますが、これまた次回に続くのでした。

おまけ 映画に見る龍ノ口のシーン


長谷川一夫主演の大映「日蓮と蒙古大襲来」(昭和33年)では
光る玉というより稲妻が振り上げた太刀に当たり、刀身がくだけます。

(左の写真はその映画からお借りしました。まさに処刑直前、光るものが太刀に当たるシーンです。
座っているのは日蓮役の長谷川一夫さん、気高いかんじです。太刀を持つのは依智三郎役の田崎潤さん。田崎さんは軍人役が似合います。)

萬屋錦之介主演の松竹映画「日蓮」(昭和54年)では
光が現れたあと、日蓮自身に後光がさし、竜巻のような現象で兵士がとばされていきます。

どちらも日蓮上人ご本人の書いたものとも違うようですが、そこは映画・・
まめこぞうは市川雷蔵さんが好きなので、雷蔵さんが執権時宗を演じている大映の方もいいと思うのですが、新しい作品である松竹の方がはるかにリアルで劇的である気がします。特に錦之介さんの鬼気迫る演技は喜怒哀楽の中でも特に「怒」で発揮されますよね。激しい怒り、静かな怒り・・まるで東大寺戒壇院の四天王像のような表情・・・子連れ狼:拝一刀(おがみいっとう)がその最たるものだったなぁ・・・

まめこぞう

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