第5話 三年坂(産寧坂)
2002年05月08日 00:00
三年坂(産寧坂) |
鎌倉街道の面影が残る古い道です。ゆるやかな坂はしき石の階段になっています。ここは前回お話しした護王姫が息を引き取る直前に歩いたと言われるところです。小さい川を渡るところが伝説にもあった櫛橋(くしばし)です。 |
櫛橋から見た三年坂(産寧坂) |
時を越えた景色 |
櫛橋に立って南側を見ると、森の中からのびる三年坂が見えます。右側に小さな祠と鳥居があり、薄暗い木々の中に鳥居の鮮やかな朱色がはえます。その横にある椿の木に花の咲く頃はさらに風情があります。じっと見ているとふと自分が鎌倉時代や室町時代に入り込んだような気がしてきます。まめこぞうはここに立つたびに、出産直後の護王姫が、出血も止まらず血の気がひいて意識を失いかけたまま、おともの者に抱きかかえられてここを下っていく姿が目に浮かんでしまうのです。そしてそのあまりにもドラマティックな光景にまたしてもうるうるしてしまうのでした。 ちなみにまめこぞうの頭の中の姫は若き日の京マチ子さん、そしてその後ろから追ってくる荒くれ者は…そう、三船敏郎さんです。若い人にはわからんかもしれませんな。でも若い人向けに座間出身のキャストを起用した場合は、姫に松嶋菜々子さん、最後までともをした女性に名取裕子さん、そんな話は伝説のどこにも出てきませんが姫の身代わりでおとりになった娘に小雪さん、姫を守って討ち死にする若武者にSMAPの中居くんがいいな…豪華でしょ? あ、こんなところに勝手に名前を載せたら問題でしょうか?しかも話がずれてますね、ごめんなさい… 姫の話にちなんでのちの人がこの坂の名を産寧坂(さんねいざか)とつけたといわれています。お産が軽くできるようにという祈りが込められたのでしょう。「さんねい」が言いにくいので、いつの間にか「さんねん」と発音されるようになり、やがて三年坂と書かれるようになったといいます。 |
三年坂の怪 |
ここでころぶと三年以内に死ぬ…と地元の人は言い伝えていますがこれは事実ではないでしょう。ただ坂道でころんでけがをしないようにと注意を呼びかけたのだろうと地元の方はおっしゃいます。でもこの話、どこかで聞いたことがありませんか?京都の清水寺(きよみずでら)にも産寧坂という名前の坂がありますよね。ここも一般には三年坂と呼ばれ、そこでころぶと3年以内に死ぬともいわれています。ひょっとしたら座間の三年坂は京都のものをまねたのかもしれませんね。 |
実はもう一つある三年坂 |
今回は星谷寺近くの三年坂を紹介しているのですが、座間市内にはもう1カ所、三年坂があります。場所は南栗原4丁目4番地…原耳鼻科の100mほど西側です。ここは巡礼坂のすぐ上で「念仏山」と呼ばれる森の横、やはり敷石のゆるやかな階段になっています。 念仏山とは昔寺があった場所といわれていますが、これはとても興味深い話なので次回に紹介します。とりあえず寺があったことは間違いないとすると、京都東山清水寺、座間入谷星谷寺、南栗原念仏山の3つの「三年坂」の共通点が浮かび上がります。 |
南栗原念仏山の三年坂 |
(1)ゆるやかな坂で、敷石の階段になっている。 (2)坂を上りきると寺がある。少なくとも清水寺と星谷寺は観音様を祀っている。 (3)そこでころぶと3年以内に死ぬと言われている。 この共通点は何なのか…単に有名な京都のものをまねたのか、ある種の寺院には三年坂がセットになっていたのか、当時一般的に流行したものだったのか…どなたかご存知だったら教えて下さい。こういうときインターネットは便利ですから。 |
まめこぞう