第23話 目久尻川の水(前編)
2004年02月07日 00:00
第23話 目久尻川の水 前編 |
座間市を流れる三大河川の一つ、目久尻川の水は市内だけ見ると、上流より下流の方がきれいという性格を持っています。 |
上流:小池付近 |
近隣にお住まいの方と関係者には申し訳ありませんが、目久尻川の上流は川とは呼べない状態です。コンクリートで覆われた狭い水路を流れる水は、ほぼすべて家庭からの生活排水で、かなりのにおいがします。水中には魚どころか植物と言えるようなものはほとんどなく、洗剤の泡が風に乗って舞うことすらあります。 まめこぞうの友人はこれが川ではなく下水路だと思っていたそうです。 しかもこの川が台風のたびにあふれ出し、道路が冠水して車が通れなくなることもありますよね。それを防ぐために河川の改修工事がまだ進行中です。また、生活排水が流れ込まないように下水の整備も進みつつある・・・のかな?(自信がない・・) |
中流:遊水地 |
目久尻川は小さな川で普段は水量も多くありませんが、ひとたび大雨になると上流の広い範囲にわたって降った雨水が集中して一気にあふれてしまうため、小池と栗原中央の間に10万トンの雨水を入れられる大きな遊水地をつくりました。 |
遊水地は3つに分かれています。小池大橋より北側の部分は野球もできるグラウンド、南東の部分はテニスコート、そして西側の自然がたっぷりある池の部分です。 写真を撮った日はテニスを楽しむ市民だけでなく、一輪車の練習をするこどもやラジコンカーで遊ぶ親子の姿も見ることができました。 「ゆうすいち」というと普通は水たまりの池という漢字をつかいますが、ここは地面の地という字をつかいたいそうです。なぜならグラウンドとテニスコートは池ではないからです。 これらの池やコートは目久尻川より低い所にあります。川の方が地面より上を流れるのはちょっと不思議な感覚です。でも遊水地の目的からして水があふれたときに流れ込む場所ですから低くなければいけないわけですよね。 |
池の部分は鳥も魚も昆虫もたくさんいます。谷戸山公園よりずーっと自然があふれていて静かでおすすめ観光スポットですよ!さらにおとなりには牛くんがたくさんいる大木(おおき)牧場もあります。 注意!牛はとってもデリケートな生き物。騒がないで下さい。それから人の病気を牛にうつしてしまうとまずいので、牛には近づかないでください! 鳥の中にカワセミもいます。これを見に来るウォッチャーもちらほら。確かにかっこいい鳥ですね。夏にはさまざまなトンボもとびかいます。オニヤンマとか大型のトンボもいるということでけっこう有名らしいです。きっと他にも変わった動植物が見られるのでしょうが、まめこぞうは理科がとんとわからないので・・ ところで、オニヤンマがいるって大騒ぎするようになっちゃったんですね・・・ |
ささいなことですが・・・ |
遊水地に立てられた県の解説板に書かれた文字です。 地下の上昇って・・ここ20年間に川の工事ができないほど隆起しているんですか? たぶん地価の間違いでは・・ まめこぞうだってワープロ変換間違えて気づかなかったり文章そのものがおかしくても平気で載せてる場合がありますけどね・・うーん、僕も気をつけよう。 |
グリーンタウン |
栗原中央1・2丁目の目久尻川周辺にある住宅地はグリーンタウンと呼ばれています。このあたりは昭和40年代まで「上谷」(かみや)と呼ばれていました。上谷という地名はグリーンタウンの一番北側、遊水地との境にある橋に残されています。 |
昭和の初めまでこの上谷は水田で、目久尻川には美しい水が流れ、ホタルが飛び交いウナギも含めてたくさんの魚が泳いでいました。しかし陸軍野戦病院(現在の国立相模原病院)ができてその下水が目久尻川に流されるようになったために景色は一変します。水田耕作が不可能になったのです。もちろん魚などの生物も減り続けました。目久尻川を殺したのは高度経済成長期の宅地乱開発ではなく、戦時中の陸軍野戦病院だったのです。 昭和40年代、水田にならなくなったこの土地を宅地として開発し、新たな歴史を作ろうとしたいきさつがグリーンタウン集会所の前に立っている石碑に刻まれています。碑文にはグリーンタウンという言葉は出てきません。すべて上谷と表されています。 |
おまけ |
まめこぞうの実家は相模原市の国立相模原病院近くにあります。前回書いたあの目久尻川の上流、川ではないくぼみの斜面上にあります。ってことは、うちのすぐ前に目久尻川を殺すほどの何かが流されていたって言うことですね。ただの生活排水でしょうか?シーツや服を洗った水?そうだとしてもそんなに大量に流れ出るとは思えないんですよね・・・そんなもんで川が死ぬでしょうか?それとも病院の排水はきっかけであってそれ以上に汚いものが他から流されたのでしょうか? どなたかご存知だったら教えてください。 |
あの病院は歴史がありますからいろいろあるんでしょうね・・戦時中とか戦後すぐのどさくさとかのころはね・・・ じつはまめこぞう、相模原市立相模台中学校の卒業生です。まだ中学生だったとき体育祭の準備でグラウンドの東側を掘っていたら、「大判小判がざーくざーくざーくざく」だったらうれしのですが注射器やら薬品のアンプルやらガラス瓶が大量出土! 相模台中学校のある場所は、もともと国立病院の敷地だったのです。国立病院に勤めていたこともあるまめこぞうとしては病院にケチをつける気はありませんが、これって患者の霊が出るという作り話よりはるかに怖い気がします。 今回はおかみからしかられるかな? でも今はグリーンタウンにも大きな魚が泳いでいます。みんなが少しずつ気を遣って川を大切にしたおかげですね。 |
まめこぞう