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第24話 目久尻川の水 号外

2004年05月16日 00:00

第24話 目久尻川の水 号外

第24話 目久尻川の水 号外


平成16年5月中旬、目久尻川の話題が連続して新聞に載りました。
まずは5月9日の「目久尻川クリーンアップ作戦」。
座間市の「座間のホタルを守る会」や海老名の「目久尻川をきれいにする会」などが協力して川底の清掃をしたのです。
このようなはたらきかけのおかげでここ3年間、目久尻川にはアユがのぼってきています。それもちょっとやそっとの数ではありません。南栗原ではまるで金魚屋さんのいけすのようにたくさんのアユが群れて泳いでいるのです。

相模川などの大きな河川ではアユ釣り解禁日が定められ、釣りをするためのちけっとを買わなければなりませんが、目久尻川にはそれがないのかな?
5がつでも釣りをする人がちらほら・・・
でもここで釣ったアユは食べたくないなぁ・・・

このクリーンアップ作戦で川底から引き上げられたのは一般的なゴミだけでなく、自転車やバイクも多数ありました。おそらくは盗んだものを隠滅するためにわざと捨てたのでしょうが・・・バイクのようなものから流れ出るガソリン、オイル、バッテリー液などは川の生き物にとって耐え難いものです。平気で捨てられる人は自分のふとんにバッテリー液をこぼしてから寝てみればいいと思うんです。

全く関係ないですが、まめこぞうは小学生の時、自転車でらんかんのない仮設の橋を渡ろうとして自転車ごと転落したことがあります。昨年ボラが大発生したことで急に有名になった立会川っていう川です。大きさはちょうど目久尻川ぐらいですね。そこから脱出して自転車を引き上げるのが一苦労でした。だから毎年行われている目久尻川の清掃作業には感心するんです。たいへんですよね。参加した皆さん、本当にお疲れ様です。

しかしそのわずか5日後の14日、目久尻川はまた新聞に大々的に載ってしまう事件が起きてしまいました。
そのアユが数時間で1万匹ほど死んでしまったのです。1万ですよ!1級河川でそんなことが起きたということでただちに水質検査が行われましたが有害物質は検出されませんでした。ではなぜ?
新聞に載った専門家の話では、前日の雨で川底の汚泥が巻き上げられ、そこにいる微生物の活動が急激に活発になったために水中の酸素が欠乏し、魚が酸欠死したのだろうということです。雨が降ればきたない水が薄まっていいのかな、なんて思っちゃうんですが・・

その翌日の15日、まめこぞうは仕事の途中目久尻川に立ち寄ってみました。なーるほど・・・川底にまだたくさん死骸が沈んでいました。でも!何とそのまわりを元気に泳ぎ回るアユが死骸よりはるかにたくさんいるではありませんか!1万匹死んだと言われる中でそれ以上のアユが泳いでいるっていうことは、一体何万匹いるのでしょう?
酸欠で命を落としたものと生き延びたもの、その差は何だったのでしょう。それこそ本当は2ヶ月ぐらい前にこのコーナーで書きたかった「目久尻川後編」だったのです。本業がいそがしくて書けませんでした。もうちょっとで書けるかな・・

第23話 目久尻川の水(前編)

2004年02月07日 00:00

第23話 目久尻川の水(前編)

第23話 目久尻川の水 前編


座間市を流れる三大河川の一つ、目久尻川の水は市内だけ見ると、上流より下流の方がきれいという性格を持っています。

上流:小池付近


近隣にお住まいの方と関係者には申し訳ありませんが、目久尻川の上流は川とは呼べない状態です。コンクリートで覆われた狭い水路を流れる水は、ほぼすべて家庭からの生活排水で、かなりのにおいがします。水中には魚どころか植物と言えるようなものはほとんどなく、洗剤の泡が風に乗って舞うことすらあります。
まめこぞうの友人はこれが川ではなく下水路だと思っていたそうです。
しかもこの川が台風のたびにあふれ出し、道路が冠水して車が通れなくなることもありますよね。それを防ぐために河川の改修工事がまだ進行中です。また、生活排水が流れ込まないように下水の整備も進みつつある・・・のかな?(自信がない・・)

中流:遊水地


目久尻川は小さな川で普段は水量も多くありませんが、ひとたび大雨になると上流の広い範囲にわたって降った雨水が集中して一気にあふれてしまうため、小池と栗原中央の間に10万トンの雨水を入れられる大きな遊水地をつくりました。

遊水地は3つに分かれています。小池大橋より北側の部分は野球もできるグラウンド、南東の部分はテニスコート、そして西側の自然がたっぷりある池の部分です。

写真を撮った日はテニスを楽しむ市民だけでなく、一輪車の練習をするこどもやラジコンカーで遊ぶ親子の姿も見ることができました。

「ゆうすいち」というと普通は水たまりの池という漢字をつかいますが、ここは地面の地という字をつかいたいそうです。なぜならグラウンドとテニスコートは池ではないからです。

これらの池やコートは目久尻川より低い所にあります。川の方が地面より上を流れるのはちょっと不思議な感覚です。でも遊水地の目的からして水があふれたときに流れ込む場所ですから低くなければいけないわけですよね。

池の部分は鳥も魚も昆虫もたくさんいます。谷戸山公園よりずーっと自然があふれていて静かでおすすめ観光スポットですよ!さらにおとなりには牛くんがたくさんいる大木(おおき)牧場もあります。
注意!牛はとってもデリケートな生き物。騒がないで下さい。それから人の病気を牛にうつしてしまうとまずいので、牛には近づかないでください!

鳥の中にカワセミもいます。これを見に来るウォッチャーもちらほら。確かにかっこいい鳥ですね。夏にはさまざまなトンボもとびかいます。オニヤンマとか大型のトンボもいるということでけっこう有名らしいです。きっと他にも変わった動植物が見られるのでしょうが、まめこぞうは理科がとんとわからないので・・
ところで、オニヤンマがいるって大騒ぎするようになっちゃったんですね・・・

ささいなことですが・・・

遊水地に立てられた県の解説板に書かれた文字です。
地下の上昇って・・ここ20年間に川の工事ができないほど隆起しているんですか?
たぶん地価の間違いでは・・

まめこぞうだってワープロ変換間違えて気づかなかったり文章そのものがおかしくても平気で載せてる場合がありますけどね・・うーん、僕も気をつけよう。
 

グリーンタウン

 栗原中央1・2丁目の目久尻川周辺にある住宅地はグリーンタウンと呼ばれています。このあたりは昭和40年代まで「上谷」(かみや)と呼ばれていました。上谷という地名はグリーンタウンの一番北側、遊水地との境にある橋に残されています。

昭和の初めまでこの上谷は水田で、目久尻川には美しい水が流れ、ホタルが飛び交いウナギも含めてたくさんの魚が泳いでいました。しかし陸軍野戦病院(現在の国立相模原病院)ができてその下水が目久尻川に流されるようになったために景色は一変します。水田耕作が不可能になったのです。もちろん魚などの生物も減り続けました。目久尻川を殺したのは高度経済成長期の宅地乱開発ではなく、戦時中の陸軍野戦病院だったのです。
昭和40年代、水田にならなくなったこの土地を宅地として開発し、新たな歴史を作ろうとしたいきさつがグリーンタウン集会所の前に立っている石碑に刻まれています。碑文にはグリーンタウンという言葉は出てきません。すべて上谷と表されています。

おまけ

まめこぞうの実家は相模原市の国立相模原病院近くにあります。前回書いたあの目久尻川の上流、川ではないくぼみの斜面上にあります。ってことは、うちのすぐ前に目久尻川を殺すほどの何かが流されていたって言うことですね。ただの生活排水でしょうか?シーツや服を洗った水?そうだとしてもそんなに大量に流れ出るとは思えないんですよね・・・そんなもんで川が死ぬでしょうか?それとも病院の排水はきっかけであってそれ以上に汚いものが他から流されたのでしょうか?
どなたかご存知だったら教えてください。

あの病院は歴史がありますからいろいろあるんでしょうね・・戦時中とか戦後すぐのどさくさとかのころはね・・・
じつはまめこぞう、相模原市立相模台中学校の卒業生です。まだ中学生だったとき体育祭の準備でグラウンドの東側を掘っていたら、「大判小判がざーくざーくざーくざく」だったらうれしのですが注射器やら薬品のアンプルやらガラス瓶が大量出土!
相模台中学校のある場所は、もともと国立病院の敷地だったのです。国立病院に勤めていたこともあるまめこぞうとしては病院にケチをつける気はありませんが、これって患者の霊が出るという作り話よりはるかに怖い気がします。

今回はおかみからしかられるかな?

でも今はグリーンタウンにも大きな魚が泳いでいます。みんなが少しずつ気を遣って川を大切にしたおかげですね。

第22話 目久尻川の河童

2003年12月23日 00:00

第22話 目久尻川の河童

目久尻川のかっぱ


目久尻川には「河童(かっぱ)」にまつわる言い伝えがいくつかあります。海老名市に多いようです。そもそも「目久尻川」という名前も河童に関係あるようです。みなさんも河童伝説を探してみてはいかがですか?いえ、河童そのものも探してみますか?川幅が広くて水量も多いところには今でも本当に河童が住んでいそうです。あ!泳いでる泳いでる!あれ?亀か…

一般的な河童は


頭にお皿、顔にくちばし、背中にこうら、手に水かきを持ち、相撲とキュウリが大好きな河童。TVやマンガに登場する河童は人間と親しみやすいかわいい生き物として描かれていますが、ときには人間を水に引き込んで殺してしまう不気味な怪物でもあり、様々な形で全国いたるところに存在したと言われるものです。
人間と仲良く暮らしたり野菜や薬をくれた河童もいれば、人間をだましたり殺したりした河童の話もあります。目久尻川についてはまたいずれ・・

河童みっけ!

相鉄線のすぐ南側にかかる「伊勢下村橋」は座間市ではなく海老名市ですが、ここにはとてもかわいい河童くんが2人(?)立っています。
いつも愛嬌を振りまき、「やあ!」と親しげに手を振ってくれるその姿に思わず顔を撫でていく人も少なくありません。おかげで河童くんの顔はぴかぴかに光っています。

 それだけではありません。この河童くん、気がつくと時々いろいろなものを身につけているのです。レンゲの花の冠、タンポポの花束、帽子、スカーフ、手袋、携帯電話、子どもの靴… 今までで一番笑えたのはコーヒーの缶を手に持っていたときでした。

 <夜中にコーヒーを飲みたくなった河童くん、こっそり歩いてでかけ、自動販売機で買って飲もうとした瞬間、人が近づいてくるのを察し、あわてて橋に戻ったけれど… あ!いけねぇ! 缶を持ったままだった!> なんて想像するとおかしくって…

携帯持ってるなんていうのもすごいでしょ?
誰かとメールするんでしょうか?
僕、したいなぁ・・


この河童くんのうち西側に立っている方は、交通事故にあい重傷を負ったことがあります。でも手厚い看護のおかげで入院することなくその場で手当されて見事復活!つい最近信号がついたのですが、いつまでも元気で笑顔を振りまき続けて欲しいものです。



ちなみにこの二人、夏服と冬服を持っていてこの1年以上裸でいるのを見たことがありません。

平成14年~15年の冬服

平成15年の夏服

平成15年~16年の冬服
はらがけとクマちゃんは夏といっしょなのね

第21話 目久尻川源流

2003年11月27日 00:00

第21話 目久尻川源流

第21話 目久尻川源流

 目久尻川は座間市の中央を南北に流れ、座間市、特に旧栗原村の歴史と深く関わってきました。
今回はこの目久尻川の源流を探ってみたいと思います。

目久尻川由来(ゆらい)の碑

 目久尻川が国道246号線と交差するあたり、栗原派出所のそばでは一部にふたをされ、その上が公園のようになっています。そこにある黒い石碑に目久尻川がどんな川なのかが書かれています。
これによれば目久尻川の水源は小池(こいけ:相武台前駅の東方、住所は栗原)と蟹が沢(かにがさわ:相武台前駅の南側、公園になっている)とされています。

新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)

 江戸時代、天保年間に書かれた地誌、新編相模国風土記稿栗原村の稿には
「川 村内北方小名小池より涌出又中程字(あざ)牢場(ろうば:現在の芹沢公園)より流出する清水合して南流し、隣村柏ヶ谷村に至って目穿川(めくじりがわ)と唱ふ」とあります。
つまり川は小池から始まっているけれどめくじりがわというのは海老名市での名だということですね。ところでなぜ目久尻川が「目穿川」なのかはまたいずれ・・・

地形図上の川

 たいがいの地図には小池の集落のあたりから目久尻川が始まっていて、蟹が沢の方には川のマークすらありません。これは水が流れていないのではなく、地図づくりの総元締めである国土地理院のルールで、流水の幅が1.5m未満の川は地形図に書かないことになっているからです。

本当の最上流は?

 蟹が沢はたしかに相武台駅の近くで突然崖にはばまれ、ここより上流はないと思われます。しかし小池でははっきりとした川がまだまだ上流に続いています。
相武台東小学校の真下をくぐっているこの川をたどっていくと、相模野小学校の横を通るまではほぼ南北ですが相模が丘小学校に近づくあたり、相武台2丁目と広野台1丁目の境で急に方向が変わり、東西になります。そのままマンションの裏で小田急線を越え、さらに行幸道路を越えます。ロイヤルホストとガソリンスタンドの間です。さらに100mほどいくとまた流れの方向を大きく変えますがそのあたりから水路が見えなくなり、わからなくなってしまいます。
よって、目久尻川の源流はここ、広野台1丁目と相模原市相武台3丁目の境、ロイヤルホスト裏と言っていいかもしれません。

さらに上流は「かれ川」


 目久尻川は座間市から始まっているといってしかられることはないと思いますが、実はまだ上流があるのです。ただしそこは普段は水が流れていませんので川とは言えません。しかしまわりより低くなっている谷がずっと続いているのです。
まめこぞうは実際に歩いてこの谷を調査しました。その結果が右の地図です。いやあ、歩きまわってほんとに疲れました。
緑の部分が谷筋を表しています。大きなものでは谷の幅100m以上、深さ10m近くになります。小さなものではそこが谷であることがほとんどわからない場合もあります。地図を見て一目瞭然なように、これは川の支流だった所です。7万年ほど前に相模川がここを流れていた跡です。その後相模川が流れを西に変えてここから離れてしまい、多量の水が流れなくなった所に空から火山灰が降り続き、川原を埋めていったのです。
広野台1丁目のあたりと蟹が沢はわずかですが当時から水の流れがあり、少しずつ降り積もる火山灰をそのつど押し流したと思われます。だから深い谷ができ、今でも水が流れているのです。

川のない谷
相模原市相模台5丁目
自転車のいる場所が谷底
谷の幅は100m以上
谷の深さは数m

謎の地形

 地図のA地点を見てください。目久尻川の源流と言った地点ですが、ここで谷が不自然に曲がって迂回しています。まめこぞうは地質学的にこの場所で谷をふさいでしまったものがあるのではないかと考え、調査中です。
ちなみに、東京都立大学名誉教授であって火山灰研究の第一人者、町田洋(まちだひろし)先生は、「相武台から小田急相模原にかけてわずかな高まりが連なってできているが、約5万年前の箱根火山の大爆発による火砕流が座間や相模原を襲ったあと、(これは本当にあった話で、証拠がたくさんありますのでまたいずれ)その火山灰が吹き寄せられてできたもので砂丘のようなものだろう」とおっしゃっています。
まめこぞうはこの砂丘が蟹が沢と広野台で谷をふさいだため蟹が沢はそれより上流がまったく川ではなくなり、広野台では流れが迂回せざるをえなくなった、と考えています。
なお、その後の5万年間に20m近い火山灰が降り積もっています。

枯れ川に水は流れるか?

 大雨が降ったとき、この谷に水が集中して大変なことになったことがあります。
広野台1丁目は台風のたびに床下浸水でしたよね。でも今は相武台団地の入り口に貯水池が作られ、浸水はしなくなったようです。
小池は今でも大雨が降るとバス道路が池になって車の通行ができなくなることすらありますよね。でも目久尻川の改修工事が急ピッチで進められていますのでこれも来年は見られなくなるかな?
このあたりにあふれる水は枯れ川を流れてきたというより、周囲の開発が進んでアスファルトやコンクリートなど水を浸透させないものが大地をおおうようになったため、雨水がしみこまないで低い方に流れてしまったことによります。
しかしまったく開発されていなかった頃、土の上を水が流れる、というより水がたまることもあったようです。
ちなみにまめこぞうはずっと前、キャンプ座間の西隣にある相模原市の窪地に水がたまって数ヶ月間池になっていたのを見ました。カモがたくさんいました。今、そこは霊園になっています。

小池弁天の伝説


 何度も名前が出てくる小池の集落には弁天様の小さなお堂があります。ここにはまめこぞうがとても興味をひかれる伝説が・・・
「日本武尊」の回に登場した相模原市の大沼にも神社がありますが、この神様は男性で、小池の神様は女性、そして大沼の神は小池の神に恋をして大雨が降ると大蛇に姿を変えてはるばる小池まで来た・・・というのです。
いつものまめこぞう風に解釈するなら伝説に登場する大蛇は人のことですから、大沼の方に住んでいた男が小池の娘にほれて雨の日(雨だと仕事がないから?)に会いに来たと考えるのですが、今回はちょっと違います。確かに大沼の近くまで例の谷がのびているからです。ただ、残念ながら谷は大沼には直結していませんでした。それでも大沼の見えるすぐ前まではあるのです。
昔の人はそれを知っていて大雨が降ると大沼の近くから水が押し出してくる様子をこのような伝説に置き換えたのかもしれません。

小池の弁天

大沼神社

第20話 鷹狩り

2003年11月01日 00:00

第20話 鷹狩り

鷹狩り

江戸時代、武士が鷹を使って狩りをする「鷹狩り」(たかがり)がよく行われました。座間市には鷹狩りが行われた場所であることを示す地名がいくつか残っています。
 鷹狩りをする場所を「鷹場」(たかば)「鷹野」(たかの)などといいますが、相模の国では鷹場はおもに座間を中心として現在の相模原市や大和市にまでおよんでいました。

鷹狩りとは

 江戸時代、鷹を使ってスズメやヒバリを捕った狩りの方法です。
鷹を使った狩りといっても、そのまわりにはとても多くの人が動き回り、獲物を追いました。これは狩りの形を借りた軍事訓練(戦争の練習)だったのです。
人が林の中から獲物を追い出し、あらかじめ決められたポイントに追いつめます。そのポイントには腕に鷹を乗せた主役が待っています。その主役の命令で腕から飛び立った鷹が獲物をつかみ、着地したところで獲物を回収するというものです。簡単そうですが鷹を鍛えることも大変ですし狩りそのものが大がかりでさまざまな規則や作法(さほう)がありました。

 幕府は大名達に鷹狩りを勧めましたが、大名が自分の領地で行うことはかたく禁止していました。大名は幕府の土地(御領:ごりょうという)でお金を払ってやらせてもらわなければならなかったのです。しかもそれにかかるすべてのお金(使用料、旅費、宿泊費、食費など)はすべて大名自身が負担しなければなりませんでした。また、狩りに関してルールに違反したり大きな失敗をしたら重い罰(お家断絶:おいえだんぜつなど)を受けました。大名側にしてみればとても迷惑なことだったはずです。はやい話、幕府は「いざ出陣という時のために訓練しておけよ」と言いながら、大名のお金をつかわせて弱め、しかもちょっとしたことでケチをつけて取りつぶしたりもしよう・・という政策だったのですかね。

座間の鷹狩り


座間市内には鷹狩りに関係あると思われる地名が何か所かあります。

(1)鷹番堂(たかばんどう)   芹沢公園内
(2)鷹番塚(たかばんづか)   入谷4丁目 座間ハイツ
(3)鷹の峰(たかのみね)    立野台2丁目
(4)鷹見塚(たかみづか)    キャンプ座間内
(5)鷹匠橋(たかじょうばし)  座間2丁目 鳩川プールそば、鳩川にかかる橋

 栗原で鷹狩りが行われるときは、武士の代表と地元の代表が崇福寺か専福寺のどちらかで事前に話し合いをしました。寺は宗教的なことだけでなく、公民館、軍事司令部、学校、避難所、さまざまなものにつかわれるのですね。
 狩りに関わる人は数人ずつ分かれて近くの農家に泊まりました。しかしちょうど農作業が忙しいときに限ってくるので多少のお金をもらっても農家としては迷惑だったようです。

鷹番堂

 芹沢公園の中、地下工廠の解説パネルと谷をはさんで反対側の斜面を「たかばんどう」といいます。おそらく鷹番堂と書くのでしょうが、鷹狩りに関係のある場所だったと想像されます。
 鷹場の管理をする番人がいるところを「鷹番」といいました。(東京の目黒区にも鷹番という地名がありますが)鷹番堂は番人がいたお堂のことと思われます。いわば「国営狩猟場管理事務所」ですね。
さて鷹番堂と呼ばれている斜面の中ほどに平らになっているところがあります。おそらくここに建物があったのだろうと思うのですが、このような土地が江戸時代のまま残されているなんて、すごいことです。

鷹番塚

座間ハイツ北西の角あたりは鷹番塚と呼ばれていました。
ここには番人が見やすいように土を盛り上げた塚があったといわれています。
ここは標高が90m以上あり、このあたりでは一番高い場所です。ここからなら現在の座間ハイツから羽根沢にかけての谷と反対側の谷戸山の谷、さらに東側の平坦地が見渡せたと思われます。
またここは「巡礼街道」と呼ばれる道が通っているため、交通にも恵まれていました。

鷹番塚
白い建物のあたりと思われます
車が走っているのが
昔の巡礼街道です

鷹の峰

立野台2丁目の、南北に続く高台を鷹の峰といいました。このあたりから鷹をはなして狩りをしたのでしょうか。
また、この山を「立の山」(たちのやま)ともいいました。鷹匠(たかじょう:鷹のめんどうを見る人)が立ったのか、鷹狩りの指揮をとる人が立ったのか定かではありませんがやはり鷹狩りに関係があるのでしょう。
この「たちのやま」という地名がやがて「たつのだい」に変化したのです。

 ところで鷹狩りはどこで行われたのでしょう。
鷹の峰そのものでしょうか、西側の座間ハイツの谷でしょうか、それとも東側の平坦地でしょうか?江戸時代に描かれた鷹狩りの絵巻を見ると、(座間のものではありませんが)谷底を駆け回る武士達と、丘の上に陣取って見下ろす偉そうな人がいます。鷹の峰にしても鷹番堂にしても、ぴったりの地形です。

芹沢公園の谷
ここを多くの人が
鳥を追って走り回ったのでしょうか

余談:立野台と呼べる場所


立野台には1~3丁目がありますが、地形と鷹狩りの歴史から見ると2丁目こそが本当の立野台です。立野台1丁目は平坦地で、つい数年前に住居表示されるまでの地名は「栗原」でした。たとえ立野台小学校があってもここはやはり栗原です。

立野台3丁目は地形・地質的には座間丘陵の一部で、立野台2丁目の続きであることは確かです。立野台3丁目と西栗原は地形からは区別しにくいですが、地質はかなり違います。
これらはもともと「中っ原」と呼ばれる原っぱでした。「なかっぱら」はやがて「なかはら」と呼ばれるようになりましたが中原 という地名を残すのは小学校だけになってしまったようですね。

まめこぞう

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