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第36話 道祖神研究にもの申す

2007年06月30日 00:00

第36話 道祖神研究にもの申す

道祖神研究にもの申す



でも先にちょっと紹介・・石臼を使った多重塔道祖神


前回に引き続き、ごろ石の多重道祖神です。
今回の主役は畑の真ん中にぽつんと立っています。住所は栗原ですが、座間日産の西側、近代乗馬クラブのさらに西100m程の所です。


五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)の一部を積み重ねる道祖神はたくさんありますが、ここも上から「宝篋印塔の相輪(そうりん:一番上の部分)」、「五輪塔の火輪(かりん:屋根のような形の部分)」が3つ、「五輪塔の水輪(すいりん:丸い部分)」が一つ・・
ここまではよくあるパターンです。しかしその下にもう一つ土に埋もれかけている石が・・
よく見ると円柱形で側面に四角い穴が開いています。

これは石臼(いしうす)です。
しかも古い写真を見るとさらにその下に宝篋印塔の漣座(れんざ:一番下の部分)が写っています。おそらく少し掘れば顔を出すのではないでしょうか。

石臼は


昔は穀類を粉にするのに無くてはならない道具でした。
今はきなこでも小麦粉でも機械でひいた物を買いますが、昔は自分のうちで作ったんですね。微妙な角度と太さで刻みを入れた2つの円柱状の石がうまくかみ合い、その間に入れたものをすりつぶして横からこぼれるように出すしかけになっています。
この道祖神に使われているのは石臼の上半分です。なぜなら指1本ぐらい入りそうな側面の四角い穴があるからです。これは臼を回すためのハンドルを取り付けた所です。

壊れたり不要になった石臼をサイトバ(道祖神がまつられる場所)に置くことは珍しくありません。市内でもさまざまな場所で見かけます。ただし扱いは粗略で土に完全に埋まっていたり離れた場所に放置してあるのが普通です。
昔は使い古した道具にも魂が宿ると考えられており、たとえ壊れて使用できなくなってもそこには魂があるのだからひどい捨て方はしないか、または魂が宿る前に壊して捨てるようにしたようです。
割り箸(ばし)を折って捨てるというのはそこからくるのだそうです。
妖怪図鑑のようなものを見ても、本来生き物ではない生活道具に手足がはえて動き回る物がたくさんあります。

余談


最近は逆に石臼を使う人が増えているといいます。本物にこだわる人のそば、コーヒー、抹茶などをごりごりやって粉にするためです。
すごいそば屋さんで「石臼びき」を看板に掲げているお店もありますね。
コーヒーを石臼でひいた人の話によると、機械よりまろやかな香りが出るんだそうですが、臼を回すのが大変疲れる作業であるうえに、思っていたよりなかなか多くの量がひけないのだそうでだんだん飽きるとか・・
昔の人は飽きるとか言ってられなかったんですよね。
お茶なんか石臼でひいたらなくなっちゃいそう・・

ここで本題!

道祖神研究者にもの申す


この道祖神は、座間市の文化財調査報告書「座間の石造物 道祖神・庚申塔編」ではごろ石が7個重なっていても一つの道祖神として数えられています。前回の寒川橋の物も3基(き:石造文化財を数える単位)と数えられています。しかしです。これは重ねて一つの物でしょうか?
もともと多重塔として作られた物でないことは読者の皆さんはご理解いただけていると思います
五輪塔は5つ重ねて1基です。でもごろ石は一つひとつが独立したごろ石なのです。そして何より重要なのは昔の人が一つひとつのごろ石を「道祖神」と呼んでいることです。ならば今回の道祖神は「7基(き)」と数えるべきではないでしょうか?

ずっと前に鳩川沿いにお住まいの方から「川底をさらったら道祖神が出てきた」という話を聞き、見に行ったらそれは五輪塔の一番上、空輪と風輪でした。当時まめこぞうは子どもだったのでそれが理解できませんでした。道祖神というのは文字で「道祖神」と書いてあるか、双体や単体の神像・仏像が彫ってあるものと思いこんでいました。どの町の文化財報告書にもそう書いてありますから。しかしどんど焼きで火にくべる「道祖神」も空輪・風輪だったりするのを見るうちに、本に載っている道祖神と民間のそれは微妙に異なることに気づきました。
さらに、人々により近い道祖神は実はごろ石の方であったと感じるようになりました。

昭和の後半でしたか、道祖神ブームとかいわれるおかしな流行があり、道ばたの道祖神が持ち去られることが頻繁にありました。でもそれはすべて双体道祖神でした。男女の神が手を握り合っていたり抱き合っているすがたがほほえましいとマスコミなどでも紹介され、それに乗って道祖神の性的な面ばかりが誇張されて大騒ぎでしたよね。かなり不思議な道祖神を新しく作ることも流行しました。
道祖神はオールマイティな神様ですからどんな願いを込めて作ってもいいと思うのですが、古来の、本当に民間で信仰されていたごろ石やあるいはもっと別の形の道祖神を数えないようでは研究としてまったく成り立たないのではありませんか?(力説!)

座間市内でもごろ石がごろごろ転がっているところはたくさんあります。地元の人はこれを道祖神だと言います。しかし調査報告書にはまったく載りません。ごろ石はもともと道祖神として作られた物ではないから数えないという考え方は少し理解できます。しかし積み重ねてセメントで固定し、本来あり得ない形にすると載ります。

さらにその調査報告書だけを見て地域の道祖神を研究している方々は、報告書にある数がすべてになっています。「○○の地域には道祖神が少ない。これは信仰が・・」などとおっしゃる方もいらっしゃいますが、そこにはごろ石がたくさん転がっていたりするのですが・・こういう研究は「あり」ですか?
乗馬クラブ近くの道祖神だってバラバラだったら数えてもらえなかったんでしょうね。ましてや石臼なんて絶対道祖神の仲間に入れてもらえっこないですよ。

市内でさらに疑問なことがあります。古い道祖神が風化やどんど焼きの熱でぼろぼろになったため、あとから同じ場所にもう一つの石塔を建て直した場合がいくつもあります。地元の方々の信仰や努力があってのことです。しかしこれを調査報告書は「新しい塔が旧塔に並立している」と言い、2基と数えます。確かに2基あります。でも壊れたから建て直した、壊れた方も捨てられないので残した、と言う場合は2基なのでしょうか?それならごろ石の方がもっと数えられるべきもののはずです。



さて、今回はちょっと難しい話でしたが皆さんのご意見は?

第35話 多重塔道祖神 その1

2007年06月02日 00:00

第35話 多重塔道祖神 その1

第35話 多重塔道祖神 その1


 座間市には、はっきりわかる形のものだけで30を超える道祖神(どうそじん)の石造物(せきぞうぶつ)があり、どんど焼き(サイトバライ)などの行事も毎年行われています。今回はこの中から少し変わった道祖神を紹介します。道祖神のことはこの「まめこぞうの旅」第13話をご覧になって下さいね。

南栗原5丁目12番、目久尻川にかかる寒川橋(さむかわばし)の前に不思議な石の塔があります。座間市教育委員会発行の「座間の石造物 道祖神・庚申塔編」にはその形について「多重塔形」と書かれています。あたかも四重・三重の塔として作られたかのようですが、かなり古い時代の五輪塔(ごりんとう)と宝篋印塔(ほうきょういんとう)の一部を積み重ねたものであることはあきらかです。

流転の石造物

 この寒川橋のそばにもともとあった五輪塔などが目久尻川があふれたときに下流に流されてしまい、一部を失って塔を形作れなくなりました。このようなバラバラの石を石仏の専門家は「ごろ石」と言います。ごろ石は本来の意味(墓碑や供養塔)を失い、道祖神と呼ばれるようになりました。
このようにごろ石を道祖神と呼んで新たにまつるのはどこでも見られることで、道祖神は毎年小正月(こしょうがつ:1月15日ごろ)の前日にサイトバと呼ばれる共有地で火の中に放り込まれます。これをサイトバライ、セートバレエ、またはどんど焼きなどと言いますが、寒川橋でもサイトバライが行われていました。ごろ石は大きさ・形がサイトバライにちょうどいいいようです。

昭和8年(1933年)の5月、近くに家が建ったため火を扱えなくなり、ごろ石とともにサイトバを道路沿いに数十m北側へ移し、さらに文字ではっきり「道祖神」と彫った石塔も作りました。
 しかしこのあと近くで病人が多く出るという不思議な事件が起きたため、すぐにごろ石を元の場所に戻したのでした。

もとの場所には市内でも最高と言える基壇が作られ、ごろ石はその上に積み重ねられ、今でもお供え物などがよくしてあります。

ちなみに昭和8年に建てた石塔の方はその後のサイトバライのたびにすり減り、ついには割れてしまいました。そこで新しい白いものを昭和59年(1984年)に作り直し、この石塔の隣に並べて建てました。

 神社や墓、石仏などを勝手に移動するとこのようなたたりがあると全国で多くの人が信じていますし、市内にもそういう話がいくつもあります。また、石造物やお墓がひび割れたりかけたりしたまま放置しておくことも大変によくないことと言われています。
まめこぞうの母方の墓も東京大空襲で焼かれ、その熱で割れてしまったのですが、戦後落ち着いてから建て直しました。

ごろ石にせまる!

写真の右: 五輪塔の火輪(かりん:屋根のような形の部分)が3つ重なった上に宝篋印塔の相輪(そうりん:塔の先端部分)が乗っています。火輪のそりぐあいが3つとも違うので、これが1つの三重の塔として作られたのではないことがわかると思います。

写真の中央: 宝篋印塔の基礎に五輪塔の水輪(すいりん:丸い部分)と火輪が乗っています。

写真の左: 火輪だけが4つ重なっています。一番上のものだけ色が赤っぽく、一番下のものには四方に梵字(ぼんじ)が読み取れます。

五輪塔には上からキャ、カ、ラ、バ、アという5つの梵字が刻まれることが多いのですが、これは東西南北の方向によって微妙な違いがあります。(図参照)
ちなみにこの5文字は空、風、火、水、地の5つを表します。この5つが全ての物質を作る元素であるという考えがとても古い時代にはあったのです。
この寒川橋のごろ石で梵字を読みとることができるものは一つしかありません。東側の塔の一番下にある火輪です。この火輪は4つの面にラ、ラー、ラク、ランが刻まれていることがはっきりわかります。

ラー

ラク


ごろ石に多い形

 五輪塔、宝篋印塔ともバラバラになったらどの部分も同じ確率で残っていいはずなのに、寒川橋では火輪8個、水輪1個、相輪1個、基礎1個が残っています。これは明らかに火輪が残る確率の高さを示しています。
西中学校の横にあるごろ石は圧倒的に宝篋印塔の笠の部分が多く、次回紹介する乗馬クラブ近くのごろ石塔もほとんどが火輪です。
なぜか・・・?

おそらく直方体の部分は別の目的に使用するため、持ち去られたのでしょう。真四角だから使いやすいのです。笠や火輪は上下で大きさが異なるため再利用しにくいのでしょう。
また先端の空輪・風輪はつながって一つになっており、これをひもで縛ってサイトバライで火にくべることが最も多かったと言いますから、熱でぼろぼろになって残っていないのかもしれません。相輪も同様でしょう。


ちなみに丸い水輪に関して冗談かもしれませんが、「漬け物石にちょうど良い」と言っている人がいました。たしかに・・

それとも火輪だけを積むというのはサイトバライの「火」と関係があるのでしょうか・・
また水輪だけを積むのも火と正反対の「水」を重ねることに何かの意味があるのでしょうか・・

おまけ 参考写真

海老名市大谷、コジマのそばにある宝篋印塔

笠から上が無く、そこに小型宝篋印塔の基礎部が乗り、さらに五輪塔の水輪、空・風輪が乗っています
バの梵字も見えます。

何でもいいから乗せるというのはあまりにひどいような気がします

鎌倉の山奥にある「やぐら」といわれる横穴墓にある五輪塔
ラ、バの梵字がはっきり見えます

これまた鎌倉のあるお寺にある
水輪を積み上げた塔
てっぺんは空輪・風輪です
かなり大きいです

箱根にある「曽我兄弟の墓」といわれる五輪塔
最高にかっこいい!

まめこぞう

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