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第40話 新テーマ

海老名の古墳で鉄剣を発見

海老名市には古墳群がいくつかあります。
座間市との境にある秋葉山古墳群は古墳時代の中でも古いもので、国の史跡に指定されています。
その次の時代、古墳時代の中頃に作られたのが上浜田古墳群です。
いずれの古墳も意外や意外!副葬品などはまったく発見されていませんでした。
周囲から見つかった土師器などで年代が推定されているぐらいでした。

ところが・・平成26年3月、私まめこぞうが上浜田古墳群の2号墳で、鉄剣を発見してしまいました。海老名市の専門家が調べるのに1年を要しましたが、ここにとりあえずご報告いたします。
詳細はまたあとで・・・

上浜田古墳群について

上浜田古墳群は海老名市の浜田町(はまだちょう)にあり、最大の瓢塚(ひさごづか)古墳と呼ばれる前方後円墳の他、円墳や方墳、大小さまざまな古墳がせまい範囲に集中して存在しています。瓢塚だけは盗掘した複数の人が急死したという事件があったためなのか、墳丘を崩すこともなく残されています。墳丘全体が丸い石で被われているのもよくわかる状態です。しかし他の物は昭和後期の宅地開発時にほとんど形もわからないほどに削られてしまいました。

古墳群中、2番目と3番目に大きい二つは合わせて「三塚公園」(みつづかこうえんと読みますが、地元ではみつかと呼ぶ人もいます)という特に何もない公園になっているのですが、ながねん多くの人がこの墳丘を登ったり降りたりして遊んでいました。ここにはもともと3つの円墳があったのですが、一つは宅地化で完全に消滅していました。だから2つしかないのに三塚なのです。
詳しくはまた近いうちにここに載せましょう。
平成17年、崩れた直後の崖。
水神様のほこらもくだけました。

さて本題
鉄剣発見のいきさつ

平成26年3月、中学生対象の歴史勉強会(芹沢公園や海老名市の古墳、国分寺跡、条里制の跡、武家屋敷跡、免震構造マンションなど)を開くため、下見をしようと思って朝の散歩に出ました。
三塚の上を歩いていたら、墳頂部になにやら鉄の棒が横たわっています。
手に持ったところ、ずっしりとした重さがあり、普通のゴミとは思えない感覚でした。博物館で見る鉄剣によく似た感じだったのですが、

ここで自問・・
はて、鉄剣か?
いや、いくら古墳とは言え、地表に鉄剣が転がっているものか?
今まで専門家もここを調査しているのにいまさら鉄剣があるか?
でも鉄剣にしか見えない・・

明王堂
市の方で正式に発表するまで私も公表を控えていましたが、平成27年6月6日、現地説明会が開かれ、鉄剣や勾玉などの実物が公開されましたので、私もここに発表できることになりました。
鉄剣は長さが80センチあり、県内でも最大級、しかも木製のさやがしっかり残っていて大変貴重な物とのことでした。
ここに埋葬されたのは勾玉やガラス玉の形状から見て、古墳時代中期の後半、5世紀後半だろうとの説明がありました。日本史上、俗に言われる「謎の5世紀」です。
日本にまだ文献が無く、中国の文献にもほとんど出てこない5世紀・・
どんな人々がここで暮らし、それが日本全体とどのような関わりを持っていたのか、この鉄剣からほんの少しでもわかるようだったら光栄です。
鉄剣とさやの分析にはさらに時間がかかるそうなので、あと何年か長生きして結果を待ちます。
わくわく
明王堂

あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。

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